2018年10月31日 水曜日 |
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皆さん、こんにちは。
お変わりありませんでしょうか。
ハロウィンに死霊のように舞い戻るワタクシでございますが、まだ死んではおりません。
永らくお休みしてしまいました。
なんと3ヶ月も・・・それは自分でも予定外・予想外の事でした。
途中、幾度となくこの日記を書こうと試行錯誤しておりましたが、アップロードするまでには至りませんでした。
それは、どれだけ書いても、どう書いても思う事は書き切れず、どう整理して何を端折って書いたところで書き過ぎた感が否めず・・・
・・・といった感じで納得が行かず、1日分もちゃんと書き終える事が出来ないまま、割と時間を掛けて書いたものも全て削除してしまいました。
でも、このまま何も書かずにいる事もそれはそれで納まりが悪く、どうにも居心地が悪いのも確かでした。
なので、先ずは力業で再開します。
ブランクは埋められないだろうし、この間のプロセスは説明出来ないだろうと思うけれど、頑張って言葉を探しながら機織りしてみます。
やっぱり機を織る事が好きだから。
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(2014年の)アンダ やっと腰を上げたね
oct. 25 2018
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皆さんに愛して戴いた可愛いアンちゃんは、8月末に亡くなりました。
心筋症との長い闘いをその小さな身体で頑張り続けて、ようやく楽になれました。
最期の1日の余りの力強い頑張りには、「天晴れ!」と褒めてやりたいです。
残された私たちは・・・と言えば、いつも通りにルーティーンをこなしております。
疲れている心と身体を少しずつ回復したいと願えばこそ、普通に暮らしております。
話は逸れますが、年々歳々、その「普通に暮らす」だけの事がえらく大変になるものですね。
歳はとりたくないものだと、歳をとると心から思うようになるものなんですね。
いやはや、まったく・・・。
今はまだ色々と辛くて詳しくは書けませんが、うちの子になるまでの何年もの間に様々な形でアンちゃんに関わり、アンちゃんを助けて下さった全ての方に、心から感謝します。
有り難うございました。
皆さんの温かい手から手へと渡って、うちの子にさせて戴けたお陰で、アンちゃんとは濃密で幸せな時間を過ごし、闘病にあたっては共に苦しみ、そして共に楽になりました。
今年は現時点でもう、愛する大事な我が子を5匹も見送りました。
年恰好が同じような老猫ばかりの我が家では、こういう時がいずれ必ず来るのだと覚悟はしていたものの、この現実に心身共に「たたきゴボウ」です。
愛するものたちとの別れの悲しみは、その時々で丁寧に、しかし迅速に深く深く埋めてしまい、死ぬまで掘り起こさないでいるつもりでした。
どんなに悲しくても、その想いに耽ってしまわない事でしか、その時々を乗り切れなかったし、大袈裟に言えば「生きていられなかった」から。
人によっては、時間を掛けてでもその時々にちゃんと向き合い、しっかりと悲しみに浸り、昇華させていく方が良いと考え実践しているかも知れません。
でも私には、そうする余裕は無かった。
哀しい気持ちや悲しい現実には目を向けず、それでも不意に襲われるどうしようもない哀しみを退け退け、よくよく考えて決めた道をトボトボとでも歩き続ける事でしか、精神はまともに保てなかったのではないかと思っています。
弱い自分と、強くありたいと願う自分とのバランスをとりつつ、どうある事が自分にとって望ましいのか、生き易いのか、そして責務を果たしていられるのか・・・
それはいつだって自分で見出す以外ない。
そんな事、当たり前過ぎて、口にするのも憚られますが。
ともあれ、時間と身体とお金には限りがあり、どうしてもしなければならない事、何がなんでもしたい事などの優先順位の高い事から対処し、常に取捨選択し続ける年月です。
そして疲れた心身を整える為に、この数か月、毎日「運針」をしております。
糸と針と晒木綿でひたすらチクチク縫う、あの「運針」です。
針目を揃える苦労はあるものの、ほど良い長さの糸を縫い目からツーッと引く時、何とも言えない心地良さを得ます。
それは写経のような、瞑想のような効果があり、散らかってしまった心のジグソーパズルのピースは、着実にあるべき位置にハマりつつあると思います。
この4ヶ月、1日も欠かさず瞑想のような運針をしつつ、重大な決定を幾つかしました。
それはまた別の日に書こうと思います。
ブランクの間、掲示板にメッセージを下さった皆さん、メールやお手紙を下さった皆さん、ありがとうございました。
これから少しずつお返事させて戴きます。
では、これにてアップロードしてしまいましょう。
明日また・・・(多分)。
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