マルコ

悪戯大好き

Jul.24,2002

明け方、とても切ない夢を見た。どこかの山の頂上付近にいる。そこから車で下山しようとしているのだが、急にガスが出てきた。辺りは真っ白で先の道すら見えない。車はどういう訳かトロッコのような、大五郎の乗っていた木製の乳母車のような形状である。こうちゃんが運転をし、私がナビゲーター、後部座席には姑と義姉が乗っている。すっかり有毒ガスがたちこめて、息が出来なくなってきた。姑などは白目をむいている。このままでは大変と思い、Uターン出来ない構造の車を方向転換させようとして私は飛び降りる。しかし車はブレーキが利かず、どんどん下って行ってしまった。行く手にはカーブが待っている。「止まって!」と必死で声を掛けるが、車はガードレールにぶつかって止まり、弾みでこうちゃんが崖下に投げ出されてしまった。

身を乗り出して見ると、こうちゃんがゆっくりと落下していくのが見える。濃紺の三ツ揃いのスーツを着ていて、しかも帽子をかぶっていたらしい。帽子だけが木の枝に引っ掛かって止まり、こうちゃんの身体はスローモーションで落ちて行く。私と知り合うよりずっと以前の、若かりし頃のこうちゃんの顔をしている。白いガスの隙間から、眼下に激流が覗いて見える。あそこまで落ちたら助からない!と絶望的な気持ちになりながらも何か最後の言葉を掛けなければいけないと思って、声が出ないのを懸命に頑張ってある言葉を叫ぶ。その言葉とは・・・それは秘密です。そして飛び起きた。

何だろうなあ・・・こういう嫌な夢を見るというのは。すっかり目が醒めてしまい(最近は睡眠時間が少なくともとても寝覚めが良いので、きっと体調が良いのだろう)、隣で暢気な顔で寝ているこうちゃんを叩き起こして「お腹空かないの?」と無理やり起こす。勤めているときは、ついぞこうちゃんより早起きした事がない私だったが、最近は逆だ。こうちゃんは目覚し時計が大嫌いで、出掛ける時刻から逆算して充分に余裕をもって目覚ましを掛けておくのだが(大体午前5時にセットしてある)、決して音を鳴らさないのだ。目覚ましをセットした時刻よりも必ず15分〜30分は早く起きてしまい、トイレやヒゲ剃りを済ませていた。そして私はこうちゃんに起こされるのだった。「カズエちゃん、起きられる?」

そんな風に優しく起こしてくれていた人を、「ま〜だ起きないの〜?!」とイヤミたっぷりに起こすというのは、我ながら良くない事だと思う。今度からは「こうちゃん、朝ですよ〜、チュッ!」と起こしてやろう。うん、忘れないようにしなくちゃ。

そんな風にして今朝も寝不足で起床し、朝のうちに出来る事を済ませる。昨夜、東京のセンターに収容されていて昨日が殺処分期限だった年老いた迷い犬(パグ)のSOSが届いていた。この前後関係を関連サイトで読みながら、何が出来るかを考えていた。とりあえずは事実を知らせる事だ。そして受け出せる人を募るお手伝いをする。かつて大崎さん(ジャムの育ての親でもある)が、センターから引き取って里子に出していた事を思い出すが、彼女も助け出せない殆どの犬たちの悲しそうな顔を忘れられなくて、毎日その事を考えない日がないと言って苦しんでいた。私など勇気がなくて、どこであれセンターに行った事すらないのだ。

しかし今日は、都内で約束が3つあった。家を出る時刻が迫って来ていて、頭を切り替えなくては仕方ない。旱々照りの中を車で出掛けた。途中環七が大変渋滞していたので、最初の約束の時間にはギリギリで到着した。そこでは仕事をお世話して下さる方とお会いして、何と食事を(しかもお寿司を)ご馳走になってしまった。何年か振りで食べる「お持ち帰り寿司」でないお寿司だった。先ずは中トロ。ご飯が少なくて品が良い。シマアジを頼むが、今日は切れていると言われる。シマアジ大好きなのに。そしてイカとトロサーモンとウニ、豊後鯖、大トロ、ボタンエビ、アナゴの1本づけ、赤貝、鰯、また大トロとトロサーモン、天麩羅まで食べて、大満足の罰当たりな昼食だった。ああ、又しばらくはカウンターでお寿司など食べられないかも知れないのに、今日の胃袋は小さくて「もっと食べなさい」と有り難い事を言われても入らなかったのが無念だ。朝のタラコスパゲッティが効いていたかな?

その後はドドールに場所を移してコーヒーを飲み、充分に実りある話をしてから別れる。そこからは、今度は渋谷の「のじれん」へと支援物資を届ける。今度は比較的道が空いていて、トントンと用事が済んだ。まだ次の約束があった。それは・・・

昨日ここで書いた「山本老人」に会いに行ったのだ。あれから電話してみたところ、山本さんがご存命である事は判ったのだが、骨折して入院していた事や、元々虹彩炎と白内障でかなり悪化していた目がすっかり見えなくなってしまい、もはや介助なしにはどこへも出掛けられないのだという事を知った。奥様は来春で定年退職らしい。ヘルパーさんが来てくれているという事だが、やはりどこか寂しそうな口調だった。それで急遽、お訪ねしてみる事にした。アドレス帳で電話番号を調べた時、山本さんの誕生日が今日である事も書いてあったので、それは丁度良いタイミングだと思った。

山本さんは、こざっぱりした格好で、目は見えなくとも声に張りはあるし、相変わらず気持ちの良いお人柄だった。随分と久し振りだと言って、私の肩を両手で叩く。「大きくなったなあ・・・」と孫にでも言うような事を言うのだが、それは「太った」という意味ではなくて本気で子供扱いしているのだ。アンタの顔は全く見えないよ・・・と言うから、「10年前の、若くて可愛かった私を覚えているでしょ?」と言ってやる。「うん、良く覚えてるよ。」

伺った時には夕方のお世話をしているボランティアさんが来ていて、お茶を出したり、持参したシフォンケーキをみんなで食べたりしたのだが、山本さんは相変わらずの毒舌で、「こんなもん食わないよ、俺は」と言って、それでも一口だけお付き合いしてくれた。そのボランティアさんは私が教えるまで、山本さんがかつて日本でも屈指の陸上短距離(400メートル)の選手だった事などは全く知らなかったらしい。随分と何ヶ月もお世話に通っている人なのに・・・。

しかし直ぐに山本さんの心の内は理解出来た。自分の過去の栄光を誰彼構わず披瀝する人ではないのだ・・・「どうして話してくれなかったんですか?」あるいは「どうしてそういうお話をしないんですか?」等と訊けば、きっと山本さんはこう言うだろう。「そんな事を言ってみても、こう老いぼれちまっちゃあどうしようもねえよ。目も見えなけりゃ、今じゃろくに歩く事も出来ねえんだよ。陸上選手だったなんて、恥かしくてとても言えないね。」と。

私たちもそう長くはお邪魔していられないし、ボランティアさんが帰る時間も迫っていたので、マンションに隣接する公園に車椅子で散歩に出て、そこで一緒に煙草を1本吸ってからお別れする事にした。風があって心地良い夜だった。私たちが車を停めていたコインパーキングまで、どうしても見送ると言うので、「じゃあ私の車のエンジンの音を聞きますか?」と訊くと、「うん、聞きたいね。」と言う。「アンタは何て車に乗ってんだい?」「スバルのインプレッサという車ですよ。凄〜く速いんですよ。」しかし昔気質の山本さんは「アンタの運転なんか、危なっかしくて乗れないね。」等と憎まれ口を聞く。しかし不思議と腹が立たない。女は男が守ってやるものだと思っている人だから、「ダンナさんにオンブに抱っこでいいやな・・・」等と言われても、それは馬鹿にしているのではなくて、あんたも幸せだな、という意味なのだと解るからだ。

別れ際に手を握って、又おいでよ、もうアンタしか(来てくれる人は)いないんだからさ・・・と言う。遠からず必ず来ますね、と言って帰って来た。多くの部下や友人に恵まれた人だったはずだが、誰も訪ねては来ないらしいのだ。みんな随分だな・・・と思う。家からは決して遠い場所ではないので、本当にまた行こうと思う。すっかり細くなってしまった山本さんの足を見て、何だか悲しかった。現役の選手だった頃は腿の筋肉が物凄くて、足を組めなかったと言っていた事を思い出したからだ。私と仕事していた頃の76歳の頃も、まだ筋肉質で逞しい老人だった。今では、痩せて胸板だけがジャイアント馬場のように厚い老人になっていた。また会おうね、山本さん。

実は昔は鬼門だった混雑ポイントの丸子橋が2車線になってから初めて渡ったのだが、そのお陰で橋の手前が渋滞する事もなく、あっという間に日吉に戻れた。部屋に入ると、5匹がゾロゾロとお出迎えしてくれた。しかし丸子・・・じゃないマルコがいない。「マルちゃん、マルマル〜!」と何度も呼ぶが出て来ない。押し入れを開けて見ると、中の巨大コンテナの中で目をショボショボさせている。ぐっすり眠っていたようだ。5つのトイレはウンコがいっぱい。長く待たせて、ごめんね。

ふう、疲れた。3箇所にも行くなんて事は、もう当分あり得ないだろう。今夜は熱いお風呂に入って、早寝しよう。良い夢が見られますように・・・!!


inserted by FC2 system