ジーコ

幼稚な表情

Dec.22,2003
2003年12月22日
我が家のオス達は、おしなべておとなしい。「情けない」と言っても、言い過ぎではないかも知れない。それは見た目にも充分表れている。しかしぶーちゃんは違う。見るからに頼りになりそうだ。王者の貫禄すらある。もしかしたらミュウの後を継げる器だったのかも知れない。今のまま1匹で大切にされていると、今後新たに猫を加えて行くにつれ、ぶーちゃんがミュウになる可能性はないとは言えない。そういう風に、立場が性格を作っていくのも確かだから。

つい1ヶ月前にはまだ野良猫だったとは思えない程、ぶーちゃんとの間には信頼関係が出来上がっている。他の11匹の誰よりも聞き分けが良い。暴れず騒がず、私との関係をぶーちゃんなりに理解して付き合ってくれているようにも感じる。彼は私に、ある種の思いやりを示してくれる。二人きりで寝ている私にしか解からないものだが。そんな思いやりを見せてくれるのは、ミュウしかいなかった。ぶーちゃんは来るべくして来た猫なんだと改めて感じる。

そうは言っても、やはりミュウは永遠に特別な猫だ。ミュウが私を見つめる目は、深い思いやりに満ちていた。ミュウのような表情をした猫は、どこにも見つけられない。飼い主である私にとっての「特別」に過ぎないとしても(まあ、それで良いのだが)、彼の態度と表情の中には「全て」があった。甘えも嫉妬も独占欲も労わりも包容力も慰めも慈しみも。同様に大切で同様に可愛い他の猫たちに、その「全て」を求める事は難しい。少しずつ何かが欠けているのだ。

欠けているから劣るという事ではない。それは個性なのだから。ただミュウは死んでしまう前から、私にとっての「全て」だったのだ。自分の外側にある客体ではなくて。きっといずれかの時点で、私の魂はミュウに食べられてしまったのだろう。ミュウは私の全てを持っている。危険な考え方だとしても、そう思わずにはいられない。こうちゃんは尤も近しい戦友だが、ミュウは私自身なのだ。死んでしまったからそう思うのではなく、生きているうちからそれは感じていた。そう感じる私が、アブナイ奴だと言われても仕方ない。

神様は私からミュウの身体を取り上げてしまった。でもミュウはここにいる。それを固く信じているのに、どうしてミュウを思うと涙が出るのだろう。どんな現象も、ひとつの局面でしかない。ミュウの苦しみも死も、永遠から見れば通過してしまったひとつの点だ。ミュウを哀れと思ってはいけない。これからもミュウの為に生きるし、私が死んだら完全にミュウと一つになれると思いたい。そう都合の良い事ばかりを考えて、気を紛らしてはいるものの、あの時の事を突然思い出してしまうと生きてモノを考えているのが辛い。どうしてミュウに出会ってしまったのだろう。これは反語ではない。嘆いているのではないのだから。純粋な疑問だ。

ぶーちゃん

逞しい表情

Dec.22,2003

咳が続き、首の両側のリンパが腫れてきた。いつまで続くのか、この不調。いつかは治るのか?どうしてこんな目に遭わねばならないのか?細い、しかし強いと信じていた糸が切れると、全てのパーツがとうにボロボロだった事を思い知る。しかし交換は出来ない。少し休ませて、騙し騙し使い続けるしかないのだ。この歳で、ポンコツになるとは思いもしなかったが、良く考えれば当然の成りゆきだろう。自業自得。


バラが、今週はこんなに一杯になってしまった。今回は出荷が遅れなかった分、前回のバラが散らないうちに届いてしまったのだ。クリスマスだし、ミュウちゃんへのプレゼントだもの、いいよね、豪華過ぎても。

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