2014年6月1日 日曜日 (禁煙644日目)
昨日にも増して暑い。
各地で35度を超す猛暑日だったようだ。
だけど有り難い事に湿度が高くないので、今日もクーラーを入れずに済んだ。
窓から入る風は熱いけれど乾いていて、意外にも心地良い。
エアコンを送風モードで弱めにつけていると、それで充分涼しかった。
時々、ベランダの苔鉢に向けて、スプレーボトルで水の霧を吹く。
それがどれ程の効果があるかは解らないけれど、気分的に涼める。
だから窓辺には、いつも霧吹きを常備しているんだ。
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ルス 美しい声の鳥を撮りたいの?
Jun. 1, 2014
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ルス 美しい姿の猫じゃダメ?
Jun. 1, 2014
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ルス えっへん、はいどーぞ
Jun. 1, 2014
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その昔、私が子供の頃の夏は、こんな感じの暑さだったと記憶している。
真夏でも湿度がそう高くなくて、一番暑い昼間でも風の通る部屋に居たら快適に昼寝出来た。
そもそも一般の家庭にクーラーなんか無かったし、必要もなかった。
当時の我が家の裏の家には8歳年上のお姉さんが居て、私は良く遊んで貰った。
「裏んちのミッちゃん」と呼んでいた。
ミッちゃんは高校を卒業すると東京の学校に行ってしまったので、ミッちゃんに遊んで貰っていたのは、私が小学校の4年生位までだったという事になる。
遊んで貰うと言っても、私はおままごとをするでもなし、外で遊ぶ事もせず、ただひたすら絵を描いたり本(漫画も含む)を読んだりするだけで、邪魔にはならなかったのだろう。
私には同世代の子供が近所には居なかったし、もし居たとしても、子供と遊ぶのは嫌いだった。
子供って乱暴で無神経だからね。
ミッちゃんもまた、近所には同世代の友達が居なかったようだ。
だから私は毎日のように、ミッちゃんが高校から帰ると遊びに行っていた。
ビートルズやピーター・ポール&マリーの曲の歌詞を教えてくれたのもミッちゃんだった。
ミッちゃんは高校に売りに来るパンにとても美味しいのがあると言って、お土産に持って帰って来てくれた事があった。
今にして思うと、あれはほんのり甘いデニッシュだったのだ。
当時、そんなハイカラなパンは珍しかった。
だから勿論、それは本当に美味しく感じた。
あれから50年近くずーっと、私はデニッシュが好きだ。
夏休みにも、私は外で遊んだりプールに行ったりするのが嫌いだから、ミッちゃんの所に行って「夏休みの友」をやっていた。
裏んちの更に裏には大きな屋敷があり、風が吹くと、その屋敷森の木々が大きな音でざわめいていたのを鮮明に思い出す。
その屋敷は江戸時代からの医院で、立派な塀に囲まれていた。
屋敷はテレビの時代劇で見る武家屋敷のような、間口の広い古典的な建築で、玄関だけでも凄く立派だった。
町にはもっと新しい医院や病院が幾つもあったけれど、うちから一番近いその医院は外科の施術の腕が良いという事で、母は指のひょうそを切ったり、私も膝の壊死した部分を抉り取ったりと、なかなかワイルドな治療を経験している。
診察室には、普通の病院にある白いカバーの掛った診察台よりかなり高さのある、階段を2段ほど登って上がる古くて黒光りした木製の診察台があった。
それは「置かれている」台ではなくて、床に造り付けられていた。
勿論、特注で造らせたものだろう。
その診察台に上がるのは、とても怖かった。
その医院に行かされる時というのは、風邪とかの内科診療の為では無くて(そういう場合には別の病院に行ったのだ)、メスを使うような痛い外科的処置の時に限られていたからだろう。
古くて手入れの生き届いたその医院は、どこもかしこも、木製の部分は黒光りしていた。
半世紀近くも前の記憶が、鮮やかに蘇る。
どうなっているんだろう、人間の脳って。
ふと思いついて「ストリート・ビュー」で見てみたら、まだあった、その医院の塀。
建物の正面が見える路地までは撮影されていなかったので、屋敷まではどうなっているのか解らないけれど。
学校帰りに、その医院の玄関の前の路地を通り抜け、井戸のある裏道を通って家に帰った。
裏道をあちこち探索して帰るのが好きだったのだ。
今もそういう性癖は変わらないので、改めて「三つ子の魂」に驚く。
「ストリートビュー」で昔歩いていた道を辿ってみる。
道も変わっていたけれど、町の様子もすっかり変わっていた。
しかとし驚いた、実家(いや、今では建て直して妹の家だ)もしっかり映っている。
凄いなあ、Google、恐い位だ。
小学校卒業まで過ごした駅前の家も、向いの映画館も、その脇にあった食堂も無かった。
まるで私の知らない町だった。
仕方ないよね、故郷を離れて40年近くも経つのだから。
東京に出て来た時に住んだ西新宿だって、当時とはガラッと変わってしまった。
40年という歳月は半端じゃなく長かったんだな。
あっと言う間だった気がするけど、そんな事は無いんだ。
ちゃんと誰もが平等に時間を過ごして来たのだから、残りが少なくなったからと嘆くのは潔くない。
少しずつ、或いは急激に「お終い」に近づいている事を受け入れるしかないのだ。
強大な権力を持っていた王様や皇帝だって、不老不死の薬は手に入れられなかったのだ。
ましてや私などが手に入れられる筈がない。
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ブルーベリー Jun. 1, 2014 |
嬉しい事に、先日話題にした美しい声の鳥の名前が解った。
メールで教えて下さった方がいたのだ。
感謝感激。
「画眉鳥(ガビチョウ)」というのだそうだ。
ガビチョウは、江戸時代頃から中国や台湾から鳴き声を楽しむペットとして輸入されていた鳥で、今では特定外来生物に指定されているようだ。
Toutubeに一杯、綺麗な動画と鳴き声がアップされている。
いずれも超望遠レンズで撮ったんだろうな・・・と思える、素晴らしいアップの画像だ。
音はどうやって撮っているのだろう?
これは、その中のひとつ。
外来生物と言っても、鳥には渡り鳥も多いし、鳥には国境が無いものね、
一時は好きで輸入していたのに、今更嫌われては可哀相。
あの日以来、ガビチョウは近くに来ていない。
その代わりにウグイスが盛んに鳴いている。
やっぱりここは里山に近い環境なのね、横浜と言っても。
群馬の実家より、むしろ環境ずっとは田舎だ。 |
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