2015年8月23日 日曜日 |
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午前中「イオン」に買い物に行く。
パンと玉子、牛乳・・・そして夏物バーゲンで半額になつていた、いまどき流行りのオシャレなステテコを買う。
定価700円が、なんと半額の350円だもの、これは「買い」でしょう。
こうちゃんには、この迷彩柄を。
私の部屋着としても楽かな・・・と、この花柄を。
薄くて軽いので、真夏のパジャマや部屋着に、或いは下着としても良いかも。
柔らかくて動き易くて、着心地バツグン。
ステテコ姿で寛ぐ昔のお父さんの気持ちが解る気がする・・・などと言っても、私の父はステテコ姿で寛いだりしなかった。
父は夜中に会社から帰って来て、ネクタイしたまま晩御飯を食べていた。
休日もネクタイこそしないものの白いワイシャツ姿だった。
夜中まで会社で仕事をしているモーレツ・サラリーマンで、家に居る時間が極端に少なかったから、カジュアル・ウェアを着ているのを見た事がなかった。
父が現役のうちに私は家を出てしまったし、その後あまり里帰りしない娘だったものだから、余計に退職後の父の様子を殆ど知らない。
父が柄物のシャツなど着ている姿は想像が出来ないし、家で寛ぐ姿というのも考えられない。
だらしない格好でゴロゴロしたりするような父親ではなかった。
父にはきっと父なりの美意識があったのだろう。
オシャレする事を恥じるところもあったかも知れない。
でも、350円の柄物のステテコを素直に穿いてくれる夫の方が、私には楽だな。
こうちゃんも一日中、一年中気が張っていて寛ぐ人ではないのだけど、ステテコは気に入ったようだ。
良かった、良かった。
それにしても700円のままだったら、もしかしたら買っていなかったかも。
350円というところに価値を感じる、ちょっぴり悲しい大人なのでした。
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メラ そうよ、悲しいわよ
Aug. 23, 2015
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メラ だけど、ステテコ穿いても
Aug. 23, 2015
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メラ 心は錦よね
Aug. 23, 2015
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そうよ、メラちゃん。
貴女のパパは・・・と言っても猫のパパであるところのシロちゃんじゃなくて、人間のパパの事よ・・・凄くオシャレな人だったのよ。
今のパパしか知らないメラちゃんには想像出来ないでしょうけどね。
紳士だったんだから。
そうそう、背広の胸ポケットにはポケットチーフ入れていたのよ。
お陰で、今じゃ役に立たないポケットチーフが一杯あるけど、何かに使えないもんかな。
ロープに結んでつなげて、万国旗みたいに飾る位しかないかなあ。
それにしても、手も拭けないようなポケットチーフ1枚の方が、今日買ったステテコ1本よりも高かっただろうな、間違いなく。
【奇皇后】の総集編も、3回とも全部観てしまった。
51回のシリーズを3回にまとめるってのも無理な話で、二人目の皇后バヤンフトなんか出て来もしない。
憎々しい顔をしたバヤンフトにパク・ブルファが毒を飲ませて処刑するシーンなんか、それまでの展開が禍々しかっただけに、溜飲が下がったんだけどなあ・・・残念。
皇太后も最初の皇后タナシルリも、奸計をめぐらせて罪の無い人たちを平然と葬った悪い女たちを、全て罪人として死なせた奇皇后の迷いの無さ。
そして皇帝も、愛する皇后の為には、ソ・サングンやタンギセ、そしてワン・ユをも殺す、その強い意志。
あ~あ、もう見られないと思うと寂しいなあ。
ハ・ジウォンの美しかった事。
日本の若い三流女優たちと違い、ギスギスと痩せ過ぎておらず、その演技や表情は豊かで内面の深みも感じさせ、輝くばかりの美しさだった。
いいなあ、綺麗な人の立派な演技が見られるって。
来週からは、しょうがないから【刑事フォイル】を観るしかないかな。
予告編を見た限りでは、なかなか渋いメンツのようだし・・・。
但し、第二次世界大戦下のドラマは観ていてちょっと辛いものがあり、イマイチ楽しめない。
戦争が終わってから生まれた世代の私だけど、日本が単に敗戦国というだけではない、侵略をした事実を思わずにいられないせいか。
戦後生まれの私たちに直接の責任はないから、いつまでも謝罪し続けるのはどうか等と言うのは間違っているような気がする。
日本人としては、過去の過ちを忘れず、繰り返さない為にも、罪は我が事として永久に受け継ぎ、反省と謝罪をし続けるしかないのだと思う。
反省や謝罪とは、そういうものだ。
期限を区切ったり、「もう何度も謝罪したでしょ?」と言って、50年や100年くらいでリセットするべきものではないのだ。
それでは被害者の気持ちが救われない事は、加害者側の国民である私にも理解出来る。
中国だってかつて侵略したとか、白人の国だって侵略も植民地支配もしただろうとか、そういう事を持ち出すのも間違っている。
子供が悪い事をして、「だって**ちゃんだってしているもん」と開き直るのと同じだ。
他所の国がどうであれ、日本は誠実な姿勢をとり続ける事が大事なのだ。
そうする事でしか、真心というものは伝わらないはずだ。
だから私は、私の先祖が犯した過ちについて、機会があれば被害者の人たちに謝れると思う。
これは男女の関係に於いても同じで、夫婦喧嘩して、悪い事をした亭主が謝って許されたとしよう。
それでも後々、まだ何度も蒸し返されたとしても、それに耐えて謝り続ける事でしか、妻の気持ちは収まらないと心得た方が良い。
それが平和の為なら、謝った方が大人だし、結果としては勝ちなのかも。
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