2018年6月12日 火曜日 |
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今日は上野のパンダ、「シャンシャン」の1歳の誕生日だ。
おめでとう、可愛いシャンシャン。
私も明日、還暦プラス1歳になるんだよ。
どこのパンダもみんな可愛いんだけど、うちのシャンシャンが一番可愛いよね・・・と、TVなどで他所のパンダを見る度に言っている。
「うちのシャンシャン」かどうかはさておき、生まれたてのピンクの時から見ているうちに、自分が産んだかのように愛しく思っている・・・人も多いだろう、私もだけど。
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楽しいね
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うん、楽しいんだね
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パンダの子の干物みたい
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シャンシャンに会いたくて、動物園に押し掛ける人たちの気持ちはよく解る。
でも、誕生日を祝おうというつもりなのか、パンダ舎の前で大声で「ハッピーバースデイ」を歌うのはやめて欲しい。
パンダのストレスになったら可哀想じゃないか。
自分の気が済めばそれで良いのか。
シャンシャンは喜んでいないよ、下手な歌なんか聞かされても。
静かに過ごさせてやりたいとは思わないのか、バカ人間は。
母親「シンシン」も娘が可愛くて仕方ないように見える。
生まれ落ちて、口にくわえていた時の様子は、見る度に言ってしまうのだけど・・・
「おお、食ってる、食ってる」と。
ブラックですね、スミマセン。
これは食っちゃいませんよ、どう見ても引きずっているところです。
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しっかりと娘を躾けているようですね
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有名な「膝カックン」の瞬間
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幸せそうな母と娘
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こんなに仲良しの親子を、来年の今頃には引き離して中国に返さなければならないのだと言う。
それが契約なのだとしても、何とか例外をお願い出来ないものなのだろうか。
動物だから、親子はいずれ別々になつても平気なのだ、直ぐに忘れてしまうから・・・と思っている人間は多い。
私もそうだった。
だから野良猫も、親子で保護しても子供は里子に出し、親は不妊手術して野良に戻したにもしていた。
野良で出産中だったゴマ親子を連れ帰り、子供たちは全て里子に出し、ゴマは手元に置いた。
子供たちはそれぞれ幸せにして貰え、ゴマも一昨年に亡くなるまで、私達とみっちりと濃い年月を過ごす事が出来たと思う。
でもゴマは本当に幸せだったのだろうか。
晩年に至るまで、ゴマは時々思い出したようにオモチャをくわえては、ダイニングのドアの前で鳴いた。
ダイニングのドアの向こうには、ゴマがかつて子育てした別室があるのだ。
口にくわえたままなので「にゃ~」とは言えず、「ん~ん~」と言っていた。
それは「あっちの部屋にアタシの子供たちが待っているから、このおもちゃを持って行ってやりたいの、あっちに行かせて、ドア開けて~」と言っているように聞こえた。
行かせてやって、もう誰もそこにはいないんだよ・・・と解らせてやりたい気もしたが、その現実をゴマに突き付ける事が果たして良い事なのかどうか解らなかった。
だからいつも私は、開かないドアの前でゴマを諦めさせていた。
他にも、子供を探しているかの行動はゴマにも、一度出産を経験したアインにも見受けられたものだ。
その時の事を思い返す度、猫だから平気なんだよ、直ぐに忘れるさ、頭数が増えては困るから里子に出さなきゃ・・・と当たり前のように考えていた自分の浅慮を悔いて自己嫌悪に陥る。
猫にだって犬にだって感情はあるし、ちゃんとものを感じ、考えているのだという事を猫たちに教えられた。
母性の強さには個体差もあるだろうし、状況によっては全く母性を失ってしまう場合だってあるだろうけど、ゴマは特に母親として子育ての期間をしっかり過ごしたせいもあってか、いつまでも子供たちを求めていた気がする。
なのに私は、ゴマの気持ちなど考える事もせずに、娘たちを全員、里子に出してしまった。
その後、あんなに頭数を増やせたのだから、ゴマの子供たち全員を手元に残したって全く問題なかったのだ。
出来ないと端から思い込んでいただけで。
但し、当時はまだ舅・姑が健在で、1階の部屋は自由にならなかったのだけど。
ゴマにはあの世で再会出来たら、子供たちから引き離してしまった事を真っ先に詫びたい。
どの子にも、あの世で会った時には謝りたい事ばかりなんだけど、特にゴマに対してはすまなかったと思う。
母が子を思う気持ちはかくも強いものなのかと、ゴマに思い知らされた。
そういう想いを、そのままシンシンとシャンシャンに当てはめては間違うかも知れないけれど、可能ならば中国にお願いして、ずっと家族で暮らさせてやって欲しい。
来年になるのが怖い。
それ以外の事でも、時が経つのは毎日怖い。
昨夜は、お気に入りの番組をやっていたので、他の事をし「ながら」ではなく居住まいを正して観ていた。
【小さな狂言師 誕生~野村萬斎・親子三代の初舞台~】
初回放送:(2004年)から14年も経つ。
一体これで何度目の再放送だろう。
でも何度見ても幼い野村裕基くんが可愛いくて、健気に稽古を重ねる姿は胸に迫るものがある。
3歳で初舞台に臨む子(野村裕基)と、それを支える父(野村萬斎、当時37歳)、その父(野村万作、当時72歳)3世代の父子関係を描くというもの。
初舞台に向け、父親の鬼のようなスパルタ稽古に耐える裕基くんが可愛い。
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鬼の父親と比べ、ずっと余裕のある人間国宝の祖父
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それでも息子はお父さんが大好き
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なんと可愛い・・・
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大名と猿引の長い掛け合いの間、子猿は足を掻いたりお尻を掻いたり・・・
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月を眺める愛らしいポーズに、大名も観客も大喜び |
子猿の役だけに、幼く、体の小さい時にしかやれない役だ。
現在、野村裕基くんは19歳になっているとかで、CMでも親子共演しているけど、既に父親より背が高く、いまどきの若者らしくとても顔が小さい。
目が離れているのは小さい頃そのままだけど、素直に育ったように感じる顔立ちだ。
父親は・・・37歳当時はかなり尖っているように感じたけれど、今はどんなだろう。
今まで感じていたのと少し違う感慨を持った。
それは、私達も歳をとったせいもあるだろうが、野村万作への見方が変わったのだ。
これまでは、声が悪いと思っていた。
しかし、セリフがとても聞き取り易く、間が素晴らしい。
そして無駄を削ぎ落とした、非常に精緻な芸を見せ、やっぱりもの凄く上手い狂言師なんだなあ・・・という事を今更のように思ったのだ。
萬斎の方は元々の声が良いのだけど、セリフが聞き取り難い。
自信過剰でやや傲慢な感じがする・・・まあそれが魅力の人ではあるのだけれど。
才能に溺れ、少し小手先な芸という印象。
それでもこの人の稀有な魅力やタレント性は、なかなか敵う人はいない。
どんなに羽生結弦が渾身の「安倍晴明」をフィギュアスケートで演じて世界一の称号を得ても、萬斎の安倍晴明にはとても及ばない。
(勿論、素晴らしいんですよ、羽生は。私だって大ファンなんですよ。)
野村萬斎の、あの自信たっぷりに見える表情、狐の母親から生まれたと言われた安倍晴明そのものに見えてくる怪しげな雰囲気。
凄く好きな役者だけに、父親万作氏の言っていた事・・・時間が無い、もっと狂言だけに専念して貰いたいという言葉が、昨夜はとても理解出来る局面(つまり萬斎の芸に関して)がたくさんあったのだ。
最近の萬斎の狂言を見ていないので、あれだけで評価は出来ないのだけれど。
それに最高に素敵な芸能人である事にも変わりはないのだけれど。
今日は、親と子の話題ばかりだったな。
偶然なんだけど。
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夜廻り猫 1,2巻(3巻も出てるよ)
著者:深谷かほる |
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