|
2016年11月19日 土曜日 |
|
朝から雨。
夜明け頃に始まった錦織の3戦目、残念だけどチリッチに負けてしまった。
準決勝進出は決まっているけど、直ぐ明日の試合という強行スケジュールだ。
対戦相手のジョコビッチは前の試合から中1日あるというのに、こんな日程は不公平じゃん。
まあ、マレーの試合も連日なんだけどね・・・。
中3日だってきついよね、野球のピッチャー登板スケジュールならば。
|
シャイン 世の中ってのは・・・
Nov. 19, 2016
|
|
シャイン 不公平なものなのよ
Nov. 19, 2016
|
そうだよね、シャインちゃん。
貴女たちの方が、ずっと良くその事を知っているよね。
貴女の猫のままも、実のお姉ちゃんもお兄ちゃんも、家猫にはしてやれなかった。
たまたまシャィンだけは風邪っぴきで具合悪かったから、避妊後のリリースが出来なかっただけで、家族はみんな野良猫のまま、きっともう死んでいるだろうね。
それひとつとっても「不公平」とも言えるけど、何もかも全ての事は、一度には叶わない場合も多いんだよ。
それもまた現実なんだよね、辛いけれど。
そういう、出来なかった事の負い目も背負いつつ、かと言って万点の事が出来ないならば何もしないというのではなく、出来たわずかな事を喜び、褒めたい。
長生きして欲しい、シャインには。
→17日に話題にしたレイチェル・クー。
「クー」という姓からして、アジアのどこかの国の名前かと思っていたんだけど、中国系マレーシア人とオーストラリア人の両親を持つイギリス国籍の女性のようだ。
マレーシアと言えば、以前別の番組(コウケンテツの番組)で観て、中華料理とインド料理とマレー料理とが混在していて、どれもすご~く美味しそうだった。
コウケンテツの番組は好きで、気がついた時には必ず観る。
タイ北部の少数民族を訪ねた回にも感じたのだけど、家庭料理にとても手間を掛けて、その分とても美味しいとの事。
思わず我が身を振り返り、反省した。
キッチンが狭いからという理由で、だからあれは作れない、これは無理・・・と言い訳していたけれど、レイチェルのパリの小さなキッチンは、うちのキッチンより狭い位だ。
初心を思い出せ、私。
大学生の時の小さな4畳半1間のアパートの台所は、流し台とコンロ置き場を合わせても、今のキッチンのシンク部分より小さかった。
調理したり洗い物する為に私が立つスペースは、人がやっと立って作業出来るギリギリの広さしかなくて、部屋の出入り口も兼ねていた。
夏になるまでの数か月間は、冷蔵庫すらなかった。
7月に、イトコの友達が買い替えるからと、古い小さな冷蔵庫をくれたのだ。
嬉しかったなあ・・・あの時は。
今なんて大型冷凍冷蔵庫2台、小さい冷蔵庫1個、冷凍保管庫1台、これだけあって、それでも足りないというのはどういう事だ?
大学2年の時、もう少し広い部屋(6畳1間)に引っ越したものの、やはりキッチンらしきスペースは同じだけの広さしかなく、マッチで点火する1口のガスコンロをやっと置ける台所だった。
今の若い人には想像出来ないかも知れないけど、そういう時代だったんだ。
6畳1間のアパートの下の階には、親子3人が住んでいて、私が晩ご飯の支度をしていると、下からいつもスペリオで「メリーさんの羊」を吹く音が聞こえた。
風呂無し6畳1間の都心のアパートには、ファミリーで住んでいる事は別に珍しくない時代だった。
銭湯もあちこちにあったし、銭湯からの帰りはパジャマに着替えて帰る家族連れはいくらでもいた。
今では流石にそこまでの光景は見られれないよね、きっと。
そういう狭い狭い台所で、まだ学生の私は何でも作った。
何でもレパートリーだった訳ではなくて、全て本を見ながら作ったのだ。
今のようにレシピ本がたくさん出ている時代ではなかったし、洒落た料理などは殆ど載っていない料理本だ。
一番多く活用したのは、この本だった。
何しろ古い出版で、一時絶版になっていたが近年復刊したらしい。
|
私の保存食ノート
いちごのシロップから梅干しまで
佐藤 雅子 (著)
←クリックするとAmazonで買えます |
当時、この本を目黒区民センターの図書館で借りて来て、いつも借りっ放しにして色々作った。
まだトマトの水煮缶など国産品は無いし、輸入もされていない時代だったので、夏に完熟トマトを箱買いして瓶詰(脱気までする)のトマトを作ったのも、この本を見ての事だった。
トマトの水煮の瓶、ジャムやピクルスの瓶をキッチンの棚にズラリと並べておくのが当時の夢だったけど、その夢は今でも変わっていない。
私を保存食づくりオタクにした犯人は、実はこの本なのだ。
圧力鍋に付属されていたレシピ本で紹介していた料理も、片っ端から作った。
カスタードプディングも、タンシチューも豚の角煮もお赤飯も、圧力鍋で何でも作って、しょっちゅう大勢の友人を集めて食事を楽しんだ。
タンシチューの牛タンは皮付の丸ごとを、スープストック用の牛骨はノコギリで挽いて半分の長さにして貰って買って来た。
中目黒のアパートの近所に、とても親切な小さな肉屋があった。
牛の大きなベロにはブツブツの突起があって(人間のベロにだってある)、それが突然気味悪く感じ始めて、茹でた後に皮を剝くのに苦労した。
そういえば、鯖の模様が突然気持ち悪く見えた事もあったし、サザエの先っぽの目玉模様も相当気味悪い。
料理って綺麗事ばかりじゃない。
スープストックは牛乳パックに入れて冷蔵庫で保管し、カレーにもシチューにも使って美味しかったけど、今からはそんな事をしようなかととても思えない。
あの頃、どうしてあれ程の事が出来たんだろう。
ひとつには、惨めな気分で居たくないというモチベーションが大きかったんだ。
親元を離れて暮らす東京のアパートはあまりにも狭く、古く、風呂も無く、トイレは共同、電話も湯沸かし器すら無く、とても不便で侘しかった。
せめて、こんなアパート暮らしでも豊かな食生活を送ろうという虚栄心も働いたのではないか。
そこに生まれつきの食いしん坊が、ハッキリと目覚めた。
自分で作って食べてみると、すごく美味しいのだ。
その気さえあれば、どこな狭い不便なキッチンでも、大抵のものは作れる。
ガスオーブンなど無くても、キャンプのかまどでもパンだって焼ける。
そんな事、ガールスカウトのキャンプで幾らでも経験済だったはず。
今の私に足りないものは、本当は調理スペースなんかじゃなくて、美味しいものを自分で作ろうという意欲と努力なのだ。
意欲と努力を促してくれるものは、多分、愛だ。
しまった、愛の実践が不足しているって事じゃん。
ごめ~ん、こうちゃん。
せめてお赤飯くらい炊くよ、こうちゃん、お赤飯好きだもんね。
そういえば、亡くなった舅もお赤飯好きだったなあ・・・
やっぱり遺伝かな?
|
|
|
|
|
|
|
|