2018年6月23日 土曜日 |
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あっという間にまた週末。
雨降りで湿度が高い。
しかし今日は恒例の「フルセット掃除」の日だ。
ちょっと間が空いてしまったと思ったら、中5日だった。ギリギリ許せる範囲かな。
毛布もシーツもマットレスを包んでいるボックスシーツも、何もかも洗って室内干しして、除湿器つけて3部屋で冷房入れて、衣類乾燥機も長時間使って・・・
ガンガン電気使っているなあ、今日も。
お金に余裕があれば太陽光発電したいところだけれど、今からもう何らかの設備投資なんか出来っこないのは火を見るより明らか。
少しずつ萎んで行きたいのだ、私の生活も、私自身も。
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2015年のルス みんな萎むのよ
Jun. 23 , 2017
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そうだね、ルッちゃん。
寂しいけど、みんな小さくなっていくんだよね。
ルッちゃんは綺麗なまま死んだね。
ミュウもジャムもルスも、長患いせずにあっという間に逝った。
だからふっくらツヤツヤのまま。
でも、それが何だと言うのだ。
もっと一緒に居たかったよ、萎んでしまって見る影もなくなろうと。
勿論、そんなの私の我儘だって解っている。
運命には抗えない。
性格も色々、生まれ育つ境遇も色々、死に方も色々なんだよね。
私だって父や母のようにポックリ逝きたい気もするし、準備期間が欲しいとも思うし、どう願おうと無駄だという気もするし。
昨夜は、映画【スリーピー・ホロウ】を観る。
ファンタジーがあまり好きではないので、この作品も面白くは感じなかった。
なのに最後まで観てしまった。
子供にはいささか刺激が強いと思うが、では、大人は楽しめるのか?と疑問だ。
私が少数派なのかも知れないのだが。
まあ、ジョニー・デップが好きな人には、この当時(1999年作品)まだ若くて綺麗な頃のデップだったから、素敵・・・なぁんて感じるのかも知れない。
よく解らないんだけど、デップの魅力は。
しかし映像は綺麗だ。
そして名脇役が色々と出ていて、それは楽しめた。
ヒロインも可愛かった。
首のない騎士の役に、なんと、クリストファー・ウォーケン。
あらまあ、お久しぶりです、こんなところに御出ででしたか・・・と言ってしまった。
不気味で怖いね、相変わらず。
【ディア・ハンター】の時から、ずっと怖いままだ。
松重豊も最初はクリストファー・ウォーケンのようで怖かったのに、CMでおちゃらけ過ぎ、「ほぼ」なんて言っていてはイメージを損なう。
ギリギリ譲って、【孤独のグルメ】だ。
あれは食べっぷりが綺麗だし、意外性があった。もう見慣れてしまったけれど。
もっと自分のイメージを大事にすべきなのに、日本の俳優たちはCMで安易に稼いでいる結果、商品価値をダンピングしている。
それはタレントの所属事務所が悪いのだろうけど、殆どの売れっ子俳優・女優がくだらないCM、くだらないテレビドラマに出過ぎ。
それが人気のバロメータだなんて思っていたら、次々と飽きられてしまうだけなのに、バカだなあ。
熱烈に憧れさせ、求められる良い役者は寡作であるべきなのだ。
高倉健のように。
まあいいや、特に勿体ないと思うような良い役者が、今の日本にそうそういる訳じゃない。
目先の利益の為に無分別にタレントを酷使して、どんどん使い捨てられてしまえば良いのだ、後が幾らでもつかえているのだし。
閑話休題。
ヒロインの父親には、マイケル・ガンボン。
この人、つい先日も【英国王のスピーチ】で観たばかりだ。
ジョージ5世役で出ていた。
その時には思い出せなかったのだけど、マイケル・ガンボン、どこかで見たけど何の映画だったっけ?と考えていたら、今回はすんなりと思い出せた。
まだ完全にボケてはいないようだ、まだらボケで。
そうだ、映画【アメイジング・グレイス】だ。
奴隷貿易を廃止しようと孤軍奮闘する、理想と正義感に燃える青年政治家の物語で、最後に彼を称える老獪な老政治家の役だった。
スリーピー・ホロウ
にて |
英国王のスピーチ
にて |
アメイジング・グレイス
にて |
ファンタジー嫌いとしては【ハリー・ポッター】シリーズも観ていないのだけど、リチャード・ハリス亡き後には、魔法学校の校長役で出ていたらしい。
兎に角、こういう役者が出ると、どんな映画にも風格が加わる。
いや、元々【アメイジング・グレイス】は【スリーピー・ホロウ】と比べたらずっと重厚で、内容も豊か、地味だけど素晴らしい作品だ。
つまり、【スリーピング・ホロウ】のように子供向けコミックのような作品でも、良い脇役がいると厚みが出るという意味だ。
そうだ、既に【アメイジング・グレイス】についてはこの日記で書いていた事も思い出した。
探したら、5年前、2013年の6月28日の日記だった。
結構、気に入っている作品だったんだな・・・と改めて自分の価値観が変わっていない事を自覚した。
【アメイジング・グレイス】で主役を演じたヨアン・グリフィズは、どちらかと言えばジョニー・デップに近いイメージを持たれてしまいがちなのではないか。
しかし、もっとずっとアクが強く、強く、深い印象を与える。
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これがヨアン・グリフィズ |
なんとこの人、イングランド王「エドワード1世」の直系の子孫である事が解ったとか。
う~ん、昔過ぎるし英国史にも全然詳しくなんかないんだけど、辛うじて知っているのは映画【ブレイブ・ハート】で、パトリック・マクグーハンが演じたエドワード1世だ。
イングランドにとっては反逆者とされたスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレス。
彼を八つ裂きの刑に処した冷酷で残虐な王というイメージがウドワード1世にはあるけれど、燕雀、いやそれ以下の存在でしかない私になど、到底、鴻鵠の志は解らない。
エドワード1世はユダヤ人をイングランドから追放したり、フランスとの百年戦争へと発展していく戦争を始めたり、スコットランドやウェールズに侵攻したりと、戦いに明け暮れていたようだ。
死後、自分の心臓は聖地エルサレムに埋葬して欲しいと遺言したそうだが、それにはどういう意味があったのだろう。
聖地エルサレムは理想の地であり、神に祝福され罪の贖いが無条件で得られると信じての事なのだろうか。
しかし遺言は実の息子によってすら守られなかったようだ。
死んだらそこまでで現世の事は全てお終い、どんな権力者だろうと死後の事まで支配する事は出来ないのだ。
ピラミッドだって古墳だって後の世に盗掘され放題だし、今だって学術研究の名のもとに無惨にミイラ(遺体だぞ、それは!)だろうが暴かれ、晒されてしまっているではないか。
フランス革命時、群衆は歴代の王や王妃、愛妾たちの遺骨までも、埋葬されていた場所から暴き、集団墓地に投げ込んだと言う。
そこまでするのかと驚くが、そこにもまた私には理解出来ない歴史背景や抑圧された心理があったのだろう。
だから思う。
自分の死後、墓だとか遺骨だとか、そんなものを大事にされたいと思ってはダメだ。
死んで焼いて貰ったら、その後は墓など不要、骨はゴミとして適当に捨ててくれれば良いと思っている。
墓や遺骨を大事にするのは、遺族の自己満足と敬意だろう。
死んだ者には、何も要求出来ない。
幸いにも私には子孫が残らない。
死んだら山で鳥に食わせようが放置されて土に戻ろうが(それらは理想だけど)、焼いてからゴミ処理場に埋めようが、どうでも良い。
いけね、ヨアン・グリフィズの話をしていたんだった。
彼と比べると、ジョニー・デップの方が表情も印象も、演技も後味も、ずっと薄いのだ(私にとっては・・・ね)。
そこがクールで(?)好きだと思う人もいるかも知れないし、それこそが計算された演技だと擁護、いや称賛する人もいるかも知れない。
そして、だからこそ様々な作品で様々にメイクして役を作り込むのかも知れない。
それら全てに異議は無い。
おそらく、好みの問題を持ち出しているだけなのです、私めは。
そして最近のデップの劣化を見ると、いかにも残念で・・・。
是非もう一度観たい、【アメイジング・グレイス】。
しかし、あの時の日記も「もう一度観たい」という言葉で終わっていた。
あっという間に5年もの時が過ぎて、いまだ観ていない。
観ようと努力しなければ観られやしない、やろうとしても具体的な行動を起こさなければ何事も成し得ない、そして何もしないまま死んで行くのだ。
その事を良く良く自らに戒め、観たいと言った映画くらい観ようじゃないか。
生きていられる時間は、誰にとっても余りにも少ないのだ。
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夜廻り猫 1,2巻(3巻も出てるよ)
著者:深谷かほる |
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