《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ジニー
ジニー 真ん中で
Feb. 27, 2009

2009年2月27日 金木曜日

さっぶ〜い!今年の冬、一番の寒さだったとか。

朝は4度、昼過ぎには2.2度で、札幌の記憶と逆転したそうだ。その後もどんどん気温は下がり、今日だけで言えば、日本で一番関東が寒い日になったかも知れない。

日頃から氷点下の地方の方には申し訳ないけれど、寒さに免疫が無いから殊更に堪える。



1階よりは暖かい2階でもオイルヒーターだけでは寒々しくて、ついぞエアコンを一日中つけたままだった。

猫たちの湯たんぽも、何度も温め直す。銅の湯たんぽは保温性が高いけれど、それでも8時間位で温め直してやる。

寒い日は忙しい。





昨夜半からの雨は市場ぼたん雪となり、見た事が無い位にたくさん落ちて来ていた。だけど幸いに積もらず、大粒の雪が降るそばから溶けていった。

取り壊された隣のアパートの空き地は、ここ数日の雨をたっぷり含んで、既に水溜りが出来ている。



昨日、そこの空き地をシロちゃんが散歩していた。トイレの窓からそれに気付き、「シロちゃん」と呼んでみる。シロちゃんは辺りを見回すものの、上のほうまでは気付かないでキョロキョロしている。

自分の名前が解っているのか(飼い主であるPJにも「シロ」と呼ばれているのだから)、それとも私の声を覚えているのか・・・こんな寒い季節、野良猫でいさせる事が切ない。



現状だけでなく、この先の人生を考えると、もう増やすのは無理だと思う反面、野良猫のままでいさせるよりは、家に入れてやりたい気持ちが強くなる。

シロちゃんとクロちゃんに関しては、今は警戒して近寄ろうとしない捕獲器に掛かるか、或いは他の何らかの方法で上手く保護出来れば・・・その時は迷う事無く家猫にしたい。



そう思い続けていれば、いつかは叶うだろう。

みーちゃんの時のように。





思うに任せない事は誰にだってあって、それが自分の事であれば大人なんだからまだ堪えられると言うか、堪えざるを得ないのだが、猫たちの事となると、時にはめげそうになる。

どうして折り合いがつかないのか・・・他の子とは大丈夫なのに特定の子とは折り合えないのか・・・或いは一切どの子とも折り合えない子もいて、これまでの経験値だけでは推測や判断が出来ない事もある。



みんな心と感受性を持った、それぞれ違う個性と主張を持った存在であり、飼い主にとっての都合の良いだけの存在ではないのだという事を忘れると、無駄に悩み苦しむ。

そしてそのネガティブな気持ちがエスカレートすると、いとも簡単に飼育放棄ともなり得る事も知っている。

「どうしても先住猫との折り合いがつかないので、お戻しさせて下さい」と言う里親さんは、きっと自分の「負」の心が一番の原因であるという事に気付いていない場合がとても多いのだろう。



私だって時には「参りました」と言いたくなる事はある。時間が解決してくれない問題もある事を思い知る。

そんな時、うちではなく、1頭飼いして貰えるお宅に引き取られていたら、今よりずっと幸せだったのではないか・・・と思ってしまうものだ。



ゴマをアメショー軍団3匹の中に同居させた9年前・・・何度もそう思った。

それまでちゃんとトイレでオシッコしていたゴマが、仔猫を全て里子に出してミュウたちと同居させてからというもの、ずっとベッドでオシッコし続けた理由を、私達は毎日悩み続けた。

それは洗濯や消臭に困るせいではなくて、どうしてゴマがそういう行動をとるのか、ゴマにどんな不満や不安があるのか、それを理解して取り除いてやりたいが故だった。



人も猫も好きなゴマ、母性が強くて正義感も強いゴマが何故トイレ以外のところでオシッコをしなければ気が済まないのか・・・

不満なのか不安なのか、余程のストレスなのか、それとも病気が潜んでいるのか、ゴマの心が私達に向けて何かを訴えているのに、私達はどうしてそこに気付いてやれずにいるのか・・・



こういう子は、1匹で大事にされる環境で暮らした方が良いのだろうと何度も思った。

でも実際には里親募集していたゴマを欲しいと言う方は一人もいなくて、我が家で生きて行って貰うしかなかったのだ。

だけど後悔なんかしていない。

一番あるべき結末になったのだと信じているし、全てはゴマが教えてくれた。ゴマがいなかったら、今の私はない。ゴマは私の分身、私のパートナー、私の娘だ。誰に望まれても、手放せっこない。








ここ数日、2ヶ月ほどの間トイレだけでオシッコしてくれていたゴマが、また枕トイレでオシッコをし始めた。

何が違ったのだろう?

どんな心の変化があったのだろう?

それは解らない。



それでも私達は、今も一生懸命に考える。

アンダが仔猫のように思えて、それで母性を満たされていたものが、最近のアンダときたら傍若無人がエスカレートして、もはやゴマの求める弱くて小さな仔猫ではなくなっているのが私達の目にも明らかだ。

私達が撫でれば牙と爪を出してじゃれるアンダは、可愛がってやろうとするゴマにもパンチや噛み付きをしてみたり激しく追い掛けてみたりして(それ自体が仔猫特有の行動なのだが・・・)、ゴマはちょっとアンダを持て余し気味に見える。



ジャムやマルコが仔猫でなくなった時・・・一時的に治まっていたゴマのマーキングが再開した。それと同じなのだろうか。



幾ら考えても推測の域を出ないし、正解は出せないだろう。

でも、それを誰かに相談して諭されたくはない。それでは飼い主、いや、親のつもりの私達としては既に失格なのだ。

正解が簡単に求められないからこそ、そして愛するがこそ悩み続け、ただ悩むのではなくて解決の為の試行錯誤をし続ける・・・それが他者と共に生きるという事なのだと信じるから。



ゴマは枕トイレでオシッコする時、その前後の私達との関わりにちょっとした拗ね方を見せる事もあれば、当たり前のようにしてオシッコする事もある。

きっと答も一つではないのだろう。






どんなに愛し合った者同士でも、安心しきって「この幸せはもはや永遠に続く」と油断してはいけない。それはきっと、人間の男女でも同じ筈なのだ。

日々、不安や不満の要素は湧き出てくる。根底に信頼と愛があろうと、ときに大好きだからこそ、その相手の気持ちを試したくなるものだ。



賢いからこそ、感受性が豊かだからこそ、ゴマはトイレ以外のところがオシッコをする・・・ずっとそう思って来た。その部分だけは、間違いないと思っている。



屈折した心は、純粋だからこそなのだという事を、かつて屈折した子供だった私には解るつもりだ。だからと言って、自分と重ね合わせて自己弁護をしたいのではない。

より単純で解り易い・愛され易い存在を身近に見るにつけ、愛されたい想いが愛され難く理解され難い行動として現してしまう事を、ゴマ自身も戸惑っているだろう。

叱るなどもってのほか・・・謝るのは親であるつもりの私達の方だ。



残念ながら、猫の心はある程度の次元から成長はしないのかも知れない。3歳児のような欲求と感情と衝動をもつとしたら、その中で精一杯主張しているものを、親は汲み取ってやれなければ、子供にとっては不幸過ぎる。

生きる環境が変えられないとしたら、その中でどう自己主張し、自分も特別に愛されるに相応しい存在である事を自覚出来て安心出来るか・・・

飢えと寒さから開放された後、望むのはその部分であるに違いないのだ。





雨風が防げて、空腹や危険から逃れられただけで本当に幸せなのか・・・それは、自分の心に問うてみれば良い。

最初はご飯が満足に食べられるだけで、暖かい家の中で暮らせるだけで充分だと思っていたはずなのに、いつしか愛すればこそ、もっともっと愛を与えられる事を貪欲に求めるものだという事を、私達は知らないはずがない。





殆ど何も問題を感じないで済んだ、おとなしくて仲良しのアメショー親子3匹だけと暮らしていた頃には、殆ど知る事がなかった猫の複雑な心理を、10年前に初めて突きつけられ、猫と共にたくさんの修羅場を潜って来たつもりでいても、今尚毎日汲み続けるしかない現実。

それは決して絶望なのではなく、これが共に生きる他者の心を尊重して幸せに生きるという事なのだと改めて思い知るだけだ。





皆さんのお宅でも、頭数に関係なく、何らかの悩みや問題はある事と思う。

そこに簡単に他人から答を与えて貰う事を望んでしまったら・・・それは大いに勿体無い事だと私は思う。

共に苦しみ、共に悩み、愛する事と愛される事を求め合い、不満をぶつけ合って、それでも尚、共に歩んで行きたいと願う事が、生きている幸せ、生きている手応えなのだと思うから。



共に生きられるだけで何と幸せな事か。

そう思えないで、型抜きされたような楽な幸せと癒される事だけを望んでペットを求めるとしたら・・・・・その時は「愛」なんて言葉を持ち出さないで戴きたい。

「好き」の増大したものが「愛」ではないのだから。

存在を丸ごと、好きな部分も困った部分も全て受け入れて赦す事、その意志を伴ったものが「愛」なのだと思うから。




ここ数日、マーゴがようやく自力で食べ初めてくれたのと入れ替わりに、いきなり復活したゴマの枕トイレでのオシッコを受けて、私達は新たに戸惑い、「短い夢だったのかな」とか「どうすればもう一度夢を見られるのかな」と話し、あれこれ試行錯誤し、今はまたそのままを受け入れる事にした。

ゴマを誰よりも愛していると自負しているんだもの。

どんなゴマでも、掛け替えの無い大事な失いたくない存在なんだもの。



問題の無い生活なんてあり得ない。そんなものがあるとしたら、それこそが「夢」でしかないだろう。
ジニー

守られて

Feb. 27, 2009
ジニー
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ちょっと威張って

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