ナム
うちの朝ご飯て・・・
Nov. 17, 2011 |
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2011年11月17日 木曜日
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早起きしていた理由は少し悲しい |
快晴。
寒い朝だった。
昨夜は決して早くベッドに入った訳ではないのに、痛み止めが良く効いたみたいで熟睡出来た。
お陰で今朝の目覚めはスッキリ。
こうでなくちゃ。
起床時の身体が軽いか重たいか、それはとても重要だもの。
体重の事じゃないよ、当たり前だけど。
我が家の朝はもう20年以上、ずっと夜明け前だ。
夏なら4時、真冬でも5時には起きる。
真冬でもゴミ蒐集の日には4時起床。何たってゴミが多い家だからな。
終夜勤務のローテーションにある人達は別として、私達より早起きする人達ってどんな人だろう?
始発電車の運転士や新聞配達、魚河岸に仕入れに行く魚屋さん、それから?
勤め人だった頃は、朝の猫家事に要する時間は短時間で済み・・・それでシャワーも浴びてご飯を食べ、弁当を作っても6時半には家を出られた。
猫の頭数が少なかったから、それで済んでいた。
もし勤めていて今の頭数がいたら・・・尚且つ今のやり方を貫いていたら、2時には起きないとダメだな。
当時は6時半に家を出て、多摩川を渡って一旦都内に入り、こうちゃんの会社まで車で送り、それから横浜市内の私の勤め先まで第一京浜を下って来る毎日だった。
何て優しい奥さんなんだろう。
誰もそう思っていないようだから自分で言っておくけど。
出社はいつも私が社内で一番乗りだった。
何たって7時半には着いてしまうのだから。
9時からの仕事だと言うのに。
人が出社して来る前の1時間半ほどが、静かで一番仕事がはかどった。
それに、起きぬけで出掛けるのは二人とも嫌いだったんだ。
ちゃんと食事を摂り、新聞も読み、汚れものを残さずに家を出るのが性に合っていた。
それも確かだったのだが、舅が起きて来て関所を作る前に家を出てしまいたかったのも確かだ。
元々早起きだったけど、それに拍車が掛ってしまった。
お陰で、来るべき超多頭生活にも困らない位、私達はどんどん朝に強くなって行った。
だけど、解決し難いネガティブなモチベーションではあった。
それは不愉快な思い出ばかりで、考えると少し哀しい。
勤め人を辞めてからは、頭数もどんどん増え、ご飯の前に3時間はたっぷり猫家事に時間が掛る。
あの頃の10倍も居るのだ、猫の頭数は。
「カワグチさんちは猫が2匹も居るんですか?」
「いいえ、2匹じゃなくて3匹ですけど」
「ええ〜っ!」
異動して来たばかりの上司にそうぶったまげられて、いささか得意だった。
ザマミロ、うちには3匹も猫がいるんだぞ・・・と。
笑止千万。
何が「ザマミロ」で、何が3匹「も」だ。
30匹ならいざ知らず。
でもあの頃は、それが限界だったんだ。
私達はまるで居候扱いで、殆どの事が自由にならなかったのだから。
「よく猫なんて気味の悪いものを3匹も飼うな」
舅は良くそう言っていた。
「あら、お義父様、あと何匹か飼いたい位なんですよ」
私は内心ムカつきながらも、努めて明るく言い返した。
「その時はこの家を出て行って貰わなきゃならん」
それに対しては、もう口をつぐむしかなかった。
でも今に見てろ・・・もう一度マンションを買って、晴れてこの家を出てやる・・・そう心に誓っていた。
2階の3部屋しか自由にならず、玄関が共有で、関所となっている1階のリビングを通らなければ私達の2階の居住区へ辿り着く事すら出来ない2世帯同居では、全てに厳しいチェックが入った。
思えば舅は寂しかったのだろう。
一日中リビングのソファに腰掛けて、テレビを見ていた。
姑は一人でお友達と出掛けてる事も多く、舅は文字通り「家のヌシ」だった。
もっと一緒の時間を過ごそうと思って同居したはずだったのに、それを嫌って阻んだ姑。
いつしか老人世帯と息子世帯との間には埋めようのない溝が出来てしまって、大した事はないのに「出て行け」と言われ続けた10年間。
どこで歯車が狂ってしまったんだろう。
だけど全ての状況は、少しずつ私のペースにはまって行った訳だ。
待てば海路の日和あり。
その為に犠牲にしたものや時間のロスは取り返しがつかない程に大きいけれど、兎にも角にも、時間の経過と共に天下は私達の手に落ちて来た。
今は猫好きの二人きり。
今、ミュウやアイン、ジーコとじっくり暮らしたかった。
ごめんね、あまり家に居てやれない年月で。
そして猫は36匹目のクロちゃんが数に入り、もしかしたら・・・
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男女間の喧嘩に関する独断的見解 |
車で毎日こうちゃんを会社まで送っていた年月の間、一度だけ車の中で喧嘩をして、信号待ちしている時にこうちゃんが車を降りてしまった事がある。
まさか私まで車を降りてしまう訳には行かない。
こうちゃんの会社の近くだったから、先回りして待ち伏せしていたんだけど、ああいう真似は二度とするなと申し渡してきっちり謝らせたよ、私は。
どういう場合であれ、喧嘩の理由が何であれ、相手を置き去りにするのは良くない。
ま、私は運転していたのでどこに行く事だって出来た訳だけど、気持ちは取り残されてしまう。
出て行くという事は、責任放棄だ。
婚姻とは契約である。
契約している間柄なのに、突然プイッとその場を放棄して行ってしまう事を私は許さない。
一人になってお互い頭を冷やした方が良い時だって勿論あるだろう。
そういう時だって、相手に心配をさせたり、相手を置き去りにするような形ではいけない。
それは「スタンドプレー」と呼ぶのだ。
大人だったら、思いやりと想像力を持とう。
そうすると喧嘩の果てまで(経験上)想像がつくので、労力と時間の無駄を嫌う我々は無駄に喧嘩もしなくなる。
思うに喧嘩と言うものは、特に女にとっては、それは多分に無自覚ではあるのだが、「しないでは気が済まないからする」ものであって、どんなに上等な理屈を言ったところで、相手を心から納得させた上で心をひとつにさせる事なんか出来ない。
どちらかが・・・ハッキリ言えば男が、折れてくれる事が解決の近道なんだ。
世の中の男性は、心得ておくと良い。
女は、もしかしたら自分が理不尽な事を言っていると自覚していたとしても、とりわけ自分のオトコには、自分の言い分を全て聞き入れて欲しい時があるんだって事を。
心の中では、自分が正しいとばかりは思っちゃいないのに、それでも全部受け入れて「オマエが正しい」「心配ない、オレだけはオマエの味方だから」「オレが守るから安心していろ」と言って欲しい、それが実行されるかどうかなんてどうでも良くて、兎に角そう言って欲しいんだ・・・という事を。
バカだけど可愛いもんじゃないの。
それはもしかしたら、白馬の王子様が形を変えたものなのかも知れないな。
どんなに自立した女性であっても、いや、そうであればある程、時に感情の趣くままに怒りやイライラをぶつけさせて欲しいのだ。
そしてその時の反応が、正論や理屈であって欲しくない。
そこで女の矛盾を突いたり、同じように感情的にぶつかって来たりしたらダメなのよ。
男って大変ね。
でもわざわざ厄介な女という生きものと共に生きる道を選んだのだから、そのただ一人の愛する女の為には、多少理不尽な女の怒りに遭遇しても、そこは忍耐強く大人の男らしい忍耐と許容力を見せなくちゃ仕方ない。
じゃあ我慢を強いられる男は、いつどうやってガス抜きすれば良いのか。
女が怒っていない時に、女が機嫌の良い時を見計らって、優しく2つ褒めてから(或いは心から感謝してから)1つお説教すると良い。
いきなり説教なんかしたら、また女の逆鱗に触れるだけだから。
ま、日頃は大人の男であるこうちゃんが専ら忍耐してくれているのだろうけど、20年に一度くらいはこうちゃんだって短気を起こして、途中で席を立ってしまう(車を下りてしまう)事だってあった・・・という事だ。
でも私だって言いたい放題というばかりではない。
むしろ私の方が、生活の中では寡黙かも知れない。
信じられないだろうけど。
若くて体力も時間も余っていると、喧嘩にもエネルギーを使える。
昔は夜が明けるまで喧嘩をした事もあったけれど(相手はこうちゃんではなかったけれど)、今はそんな事はあり得ない。
時間も体力も無くなったし、二人の価値観が非常に良く似ているせいで喧嘩のネタが少ないし、些細な行き違いがあったとしても、それぞれに感謝の気持ちの方が大きいと、互いの小さな欠点は許し合えているのだろう。
いや、意外と昔に比べて増えて来たかな、小さな行き違いや喧嘩は。
因みに私達の小さな行き違いというのは、いつだって同じ。
「そんな事言ってないよ、●●と言ったんだよ」
「違うよ、こうちゃんは◆◆と言った!」
「言う訳が無いよ」
「でも言ったんだよ」
「絶対言ってないよ」
「いや、言ったの!」
そういうくだらない聞き違いと言い間違いを、どちらもが認めないで起きる事ばかりだ。
歳をとった証拠だろうな。
自分が言い間違いをしていても気付かないし、耳も遠くなっているのだろう。
昔はどちらも頭が冴えていたので、こんな事で行き違いは無かった。
これからますます小さな喧嘩は増えるのだろうか。
オジイサンとオバアサン・・・仲良くお茶を飲んで静かにニコニコしていなきゃダメだよ。 |
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ナム
少し早過ぎるんじゃない?
Nov. 17, 2011 |
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ナム
だから眠いのよ〜
Nov. 17, 2011 |
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