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ジャム

どうでもいいけどさ~

Mar. 5, 2012
ジャム

2012年3月5日 月
曜日



邦題:ティファニーで朝食を

原題:BREAKFAST AT TIFFANY'S

1961年
アメリカ映画



監督 : ブレイク・エドワーズ
製作 : マーティン・ジュロー / リチャード・シェファード
原作 : トルーマン・カポーティ
脚本 : ジョージ・アクセルロッド
撮影 : フランツ・プラナー
音楽 : ヘンリー・マンシーニ


キャスト :
オードリー・ヘプバーン(ホリー・ゴライトリー)
ジョージ・ペパード(ポール・バージャック)
ミッキー・ルーニー(ユニヨシ)
パトリシア・ニール(2E)
マーティン・バルサム(O・J・バーマン)

晩ご飯を食べながらBSで映画【ティファニーで朝食を】を観ていた。

これほどつまらない映画も無いんだけど、民放でうるさいCMやらいい加減な作りのバラエティー番組のようなものを観たくないので、仕方なく観ていただけなのだが、やっぱりつまらなかった。

いや、つまらないどころか腹立たしくさえある。





女優としてのオードリー・ヘプバーンは悪くない。

嫌いじゃないし、美しくてチャーミングで、画面一杯のアップの顔を見て「これぞ女優だ」と感じ溜息が出た。



悪いのはトルーマン・カポーティの原作と脚本と監督ブレイク・エドワーズなのだろう。

映画会社とプロデューサーもだな。







ブレイク・エドワーズの監督作品は大抵軽妙で洒落ていて、独特なキャラクターも作り出しており、監督としての腕は良いのだろうが・・・。

余談だが、ブレイク・エドワーズはジュリー・アンドリューズの夫でもある。

女優が結婚してずっとその婚姻関係が続く場合というのは、夫が監督である場合が多い(ような気がする)

俳優同士では無理があるのかも知れない。

妻が優れた女優であればある程、それを生かせるか殺してしまうかは、夫の器量ひとつだ。

子を産ませ、その子育てに掛り切りになる女優では勿体ない。

折角天から与えられた人並み外れた器量と才能なのだから、普通の女の幸せを求めるような事をせず、女優としての才を生かせる道を突き進んで欲しい。

・・・と他人だから勝手な事を言うけれど。



それはさておき、この【ティファニーで朝食を】に関しては、つまらない映画を撮ったものだと思う。

それとも観た人に、こういう風に様々に掘り下げさせる為の映画なのかな。

兎に角、私も一杯色んな事を考えた。

腹立ちもし、自分を振り返る事も、そして名曲「ムーン・リヴァー」をめぐっての様々な事・・・







自由を求めると言えば聞こえが良いが、獣医で農園主でもある優しい夫の妻に留まっておれば良いものを、分をわきまえず家出して、ただただ玉の輿に乗ろうと着飾って金持ち男を漁る高級娼婦・・・それがヒロインの「ホリー」である。

盗みまでして浮浪児同然で生きていた子供の頃の自分を救ってくれた、父親ほども歳の違う夫がいて、その夫が探しに来てくれても、それでもその夫を再び捨て、ひたすら彼女の言うところの「自由」を求め、もっと楽しく遊んで綺麗に暮らせる世界に憧れる女。

映画では娼婦である事はあまりはっきりと描かれていないが、実際は娼婦だし、ちょっと考えれば原作を読んでいなくとも娼婦である事は直ぐに解る。



娼婦が悪いと言っているんじゃない。

映画ではそこのところをぼかして、観客の女性にホリーを憧れさせるような素晴らしいファッションとモデルのような体型の女優で、ホリーをただ無邪気で可愛い女性として見せているように思えて仕方ない。

そこのところが、現実離れした綺麗綺麗なおとぎ話のようで深みに掛ける。





ホリーはマフィアのボスなんかとも関わりがあり(そりゃあ、そういう世界だろう、彼女の仕事は)、パーティのさなか警察に踏み込まれそうになった時やラスト近くでは、なるほど麻薬との関わりも臭って来る。

夫が別れ際まで心配していたように、ホリーは痩せている。

これはたまたまオードリー・ヘプバーンが異様に痩せた女優であったからではなくて、不規則な生活と日々の酒・煙草、そして多分ドラッグ・・・そのせいだと窺える訳だ。



最期までホリーを心配し、傷心のうちに去って行った夫を演ずるのはバディ・イブセン。

大人気TVドラマシリーズ【じゃじゃ馬億万長者】のジェド・クランペット役でご記憶の方もたくさんいらっしゃるだろうが、私以上にご年配ではないかと思う。

私はドラマのタイトルとバディ・イブセンの顔くらいしか覚えていないが、流石に7歳も上のこうちゃんだともっと詳しく覚えているらしく、私がこれを書いている傍から色んな事を吹き込むので、とても集中出来ないから追い払ったところだ。

そのウンチクは、また別の機会に聞くからね。






呆れた非現実女は、挙句の果てに、名前も付けずに飼っていた猫を土砂降りの雨の中、タクシーから捨てる。

猫は嫌がってタクシーから出ようとせずに抵抗しているのに、それを無理矢理追い出して捨てるのだ、このクソ女。



虚構の世界だとしても、そういうディーテイルが作れる冷酷な精神構造が嫌だ。

流石、トルーマン・カポーティ。




勿論、私にだってこの場面が何を表しているのか解るさ。

このヒロイン「ホリー」は、この猫に自分を投影しているのだ。

獣医でもあるかつての夫が迎えに来た時、ホリーが言う。

「貴方は羽を怪我した鳥や足を折った猫を保護するわ。でも、彼らは傷が癒えればまた逃げて(戻って?)行く、更に高く、深くへと」

記憶だけで書いているので多少違っていたらゴメンナサイ。



つまり、自分がかつて親を亡くし、浮浪者同然の恵まれない子供時代にこの夫に救われ、充分に人間として生きる力を得た時には、傷の癒えた鳥や猫と同じように、そこからもっと自由な世界へと飛び立つのだと言いたいのだ。

名前も付けないままでいた猫を、野(と言ってもニューヨークの都会の真ん中だが)に放つ、そこに読みとれる意味は、この猫は自分の分身であり、引き留めないから自由に行きなさい、或いは自分は所詮この猫と同じ野良猫なのだ・・・という意味にも思える。



だから象徴的な存在として、且つエピソードとして、この猫の存在はどうしても外せないし、その猫を雨の中に追い出すというシーンは必要なのかも知れないのだが、それを充分承知したところで、猫を外に放つという行為には無条件で嫌悪を感じるのだから仕方ない。





ま、猫は雨の中を探し回って探し当てるのだが、そんなに都合良く見つかる筈が無い。

泣いて探す位なら、最初から放すな、バカタレ。



びしょ濡れの猫を抱きしめ、自分もびしょ濡れになり、愛に目覚めさせてくれたジョージ・ペパードと抱き合って、はい、めでたしめでたしという陳腐なラスト。

ラブ・ロマンスとして観ても、大した深みのある映画ではない。


演じていたおとなしい猫は、ご苦労様。

濡れ方は尋常ではなく、後でドライヤーして貰ったとしても、まことに可哀相だ。

840匹の中から選ばれたというこの猫のお陰で、イエロータビーの猫を飼う事が大流行したという。

まったくもう、人間ってヤツは・・・。










ファッションと音楽は文句なく素晴らしい。

これはもう、時代を超えた名品であると言えるだろう。



しかし映画の内容は何とも薄っぺらである。

内容なんか期待して観てはいけなかったのかも知れない。

ヘプバーンの愛らしさ、美しさが堪能出来れば、それで良いと言う人もいるかも知れない。



しかし、原作者トルーマン・カポーティの希望した条件通り、この主人公「ホリー」をマリリン・モンローが演じていたならば、ホリーの持つ内面の哀しさ、切なさはもっと良く出ていただろうと思う。

田舎から出て来た娘が、ひたすら玉の輿を狙い、次々と金持ちの男を追うもその夢は全然かなわず、その事自体が切ないのか、それとも自分が故郷に置いて来てしまった自分の純粋な心や、自分を見守ってくれていた故郷の川を想い切ないのか、兎に角、「Moon River」を歌うシーンはこの映画の仲では唯一、なかなか良いシーンだ。



これがモンローだったらもっと良かったと私は思うが、「ホリー」はヘプバーン以外ではあり得ないと感じている人達も多いかも知れない。



しかし私の感覚として言うならば、ヘプバーンでは洗練され過ぎているのだ。

ヘプバーンでは娼婦にも見えない。

それが製作者の狙いと言えなくもないだろうし、それこそがオードリー・ヘプバーンという女優の魅力なのだろうが、生身の肉体を感じさせないのだ。

幾つになっても、まるで妖精のような透明感があり、その不必要なまでに痩せた肉体にエロスは感じない。



もっと持て余すような自分の肉体が表現出来てこそ、この{ホリー}という女の存在感はあると思うのだが、カポーティさん、如何でしょうか?









売れない作家を演じるジョージ・ペパード@ハンニバル大佐がまだ若々しくて可愛い。

オムニバス映画【西部開拓史】でジェームズ・スチュアートとキャロル・ベイカーの息子役をやっていた時も凛々しくて頼もしい好青年であったが、こんな「お軽い」映画の中でも純粋で誠実でよろしい。

とは言え、面白半分に万引きしたり、金持ちの中年女の愛人となっていたり、汚れた面もある若者なのだが。








その金持ち中年女を演じていたのがパトリシア・ニールだ。



観ているさなかに、妹から電話が入った。

「【ティファニーで朝食を】観てる?」と妹。

「観てるよ、つまんないけど」と私。

「この中年女だけどさ、ゲイリー・クーパーと共演して、その後付き合っていたっていう女優と顔が似ているんだけど、お姉ちゃんだったら知ってるかと思って電話したんさ」



そのエピソードは知っていたけれど、このオバサンがそうなのかどうか解らない。

それで調べてみたら、妹の記憶通りだった。

へ~、名前じゃなくて顔で覚えていたんだ。

凄いね。



それはつまり、こういう事だ。

このケバい金持ちのオバサン役パトリシア・ニールは、21歳の時、映画【摩天楼】で共演した46歳のゲイリー・クーパーと不倫の仲になり、それが大スキャンダルとなって、一時、映画界から干されていた。

度重なるプライベートでの不幸にも見舞われたが、1962年の【ハッド】では、共演したポール・ニューマンが獲らず、パトリシア・ニールがアカデミー主演女優賞を獲得している。

自身の重い病気からも復活を果たし、つい一昨84歳で年亡くなった。

うんと昔の女優だとばかり思っていたけれど、ママとそんなに変わらなかったんだね、強い人だったんだね~等と妹と感心して電話を終えた。









私にも解る程度の事ではあるのだけれど、字幕がところどころ気になった。



たとえばこのヒロインが本来持っている(持っていたいた?)であろう魂をしみじみと見せる大切なシーンで、【マイ・フェア・レディ】の時のように吹き替えでは無しに、オードリー・ヘプバーン自身が歌う名曲「ムーン・リバー」の歌詞の字幕だ。

これはもう余りにも有名な歌だし、この主題歌がアカデミー賞を獲っている位だから、世界中、私の年代で知らない人はいないだろう。



そしてこの曲の歌詞の意味を、色々な人が解釈しようとしている。

「ムーン・リヴァー」という言葉の意味、そして件の「ハックルベリィ・フレンド」の意味、等々。




今回の字幕では、「マイ ハックリベリィ フレンド(My huckleberry friend)」という部分を、「ハックルベリィのような友達」という風に訳していた。

それは違うんじゃないか?

それは「私の幼い頃の仲良し」とか「幼な馴染み」とかいう意味であろうと言われているし、私もずっとそう勝手に解釈していた。



しかし色々と考えているうちに、トム(「トム・ソーヤーの冒険」の主人公トムの事である)とその親友ハックルベリィとの関係のような、まさしく幼な馴染みでもあり、悪戯や冒険を共にしたハックルベリィのような親友・・・と解釈出来なくもない。

だとしたら、この字幕の方が合っているのかも知れない。



どのみち、大切な友達という意味が込められているのだろうと想像するしかなかったのだが、こんな記述を見つけた。










次に「ムーン・リヴァー」の意味について。

何百回も耳にしていたはずだが、一度も「ムーン・リヴァって何だろう?」と疑問に思った事などなかった。

しかし、世の中には何でも疑問に思う人がいる事を知った。



実は、この歌の作詞をしたジョニー・マーサーの実家近くに流れている「バック・リヴァー」の愛称が「ムーン・リヴァー」となっている事は聞き齧りで知っていた。

しかしどうやらそれは、この曲が世界中で愛されるようになった事による、後付けの愛称であったらしい。

と言うのは、こんな記述を読んだからだ。

~タイトルが「Moon River」に決まるまでの経緯、そして「huckleberry friend」について~


作詞家ジョニー・マーサーは、曲のタイトルを「Blue River」,「Red River」,「June River」など考えていたらしい。

しかし「Red River」は民謡の「Red River Valley」とぶつかるし、感傷をかきたてる長母音の「ウー oo」が使えないので好ましくない。

また「June River」ではいかにも夏らしいと作曲家ヘンリー・マンシーニは感じたので、「Blue River」となるはずであった。

しかしジョニー・マーサーはASCAP(The American Society of Composers, Authors and Publishers「米国作曲家作詞家出版家協会」の略)登録を調べ、「Blue River」という同名曲が既に登録されていることを知り、このタイトルも自ら却下したといういう。

マーサーがイメージした川は、彼が子供の頃に夏を過ごした、Vernon Riverの支流Back Riverであったのだが、「Vernon」,「Back」ともに歌いにくい語であった。

そこでジョニー・マーサーは1世紀以上前のフォスターの曲「Old Folks at Home 」を思い出し、地図を広げてフロリダにある「Suwannee River」を見ていたところ、サウス・キャロライナ州「Bluffton」の近くにある「Moon River」を発見した。

「Moon」という単語には感傷をかきたてる長母音の{ウー oo」音がある上、月のイメージは暗く立ち込めた川べりを想起させるので採用することにした。

当時シンシナティに同名のラジオ番組があるのをマンシーニが指摘したが、歌のタイトルではないので問題なしとなった。






後日この歌を聞いた従弟であり子供時代の親友でもあった Walter Riversがジョニー・マーサーに電話して、
「huckleberry friend」のラインがかつて川で過ごした日々のことを思い出させたと語ったら、ジョニー・マーサーはこう答えたという。

『まあ、そうさ、だって「huckleberry friend」とは君の事だから』


以上、ジョニー・マーサーの伝記
● Skylark - The life and times of Johnny Mercer (Philip Furia),
● Portrait of Johnny - The Life of John Herndon Mercer (Gene Lees)より



その「ムーン・リヴァー」の歌詞はこうだ。

Moon river, wider than a mile
I'm crossing you in style some day
Oh,dream maker,you heart breaker
Wherever you're goin', I'm goin' your way

Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end, waitin''round the bend
My huckleberry friend, Moon river, and me


Two drifters, off to see the world
There's such a lot of world to see
We're after the same rainbow's end, waitin''round the bend
My huckleberry friend, Moon river, and me

この歌が映画音楽としてばかりでなく、スタンダードナンバーとして独り歩きし、日本でも頻繁に聞かれて何10年も経つけれど、今日、初めて感じた。

何て素敵な歌詞だろうと。



ずっと頭に残って、しばらく離れそうもない。
ジャム

写真の長さが色々だよね

Mar. 5, 2012
ジャム
ジャム

ジャムが縮んだんじゃないよ

Mar. 5, 2012
ジャム
ジャム

違うカメラで撮ったんだって

Mar. 5, 2012
ジャム
ジャム

ま、ジャムには関係ないよ

Mar. 5, 2012
ジャム
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