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2017年1月4日 水曜日 |
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今日も暖かい一日だった。
世の中は今日が仕事始めのところが多いらしく、隣の工事も再開された。
ま、せっせと働いて下さい。
そして早く完成させて、騒音も道路封鎖も風によるゴミの飛散も雨による泥の流出も何も無い日々に戻って欲しい。
だけど建築中の3軒のうち、完成間近になって取り壊した1軒は全くはかどっていない様子。
基礎工事でコンクリートを流したきりだ。
幾ら何でも、もうとっくに乾いているだろうに・・・春までには到底完成しないんだろうなあ・・・。
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テト ママが心配する事ないよ
Jan. 4, 2017
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テト 何も見ない、何も考えない
Jan. 4, 2017
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そうだね、テト君、考えると不快になる事や、不愉快な思い出を掘り起こす事は、見ない・感じないに限るね。
だけど人間の記憶って不思議だ。
ずっと忘れていた事が、ふとした拍子に突然、鮮やかに蘇る事がある。
最近、野菜を刻んだり芋の皮を剝いたりしている時、条件反射的に大学の友人の家にお邪魔した時の、彼女の弟の不遜で失礼な態度を必ず思い出す。
その後、彼女の結婚式の披露宴で10年ぶりくらいに会った時にも、その弟はチラッと失礼な事を言った。
多分、そういう事を平気で出来る男なんだろう。
気付かずにしているのか、それてもわざとしている事なのかは解らない。
そういう事和される程に私が嫌われていたという事なのかも知れないけれど。
それにしたって、うちの夫はそんな事は誰に対しても、どんな局面でもしない。
そんな事をすれば自分の品性を下げると解っているから、そして理性で自分の言動を律する事が出来るだけの強さと教養があるからだ。
その弟は有名私立の大学院まで出ても、知識と学歴は得ても、道徳に裏打ちされた教養までは身に着かなかったという事だろう。
つまり結論はこうだ。
自分の夫が、ああいう失礼で不遜な男でなくて、なんと幸せな事よ。
そういう風に考えれば悔しくないはずだけど、それにしても40年も経っても、不愉快として思い出す事そのものに驚く。
同様に、私が無意識であれ意識的にであれ誰かを傷つけたり不愉快にさせた事だって、きっと何十年経っても忘れられてはおらず、許されてはいないのだろう。
その事も肝に銘じておこう。
そして謙虚になる事が大事なんだ。
死ぬ前に、もっともっと(こうちゃんに聞かれたら「タケモット」と言われてしまう)謙虚に優しくなりたい。
ガレージ前のアスファルトの隙間に、タンポポが咲いていた。
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アスファルトに咲いたタンポポ Jan. 4, 2017
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これから一番寒い季節になるというのに、今、咲いちゃっても良いのかな。
ガレージから車を出し入れする際、タイヤの軌道上に生えていない事がせめてもの救いだけど、北風が斜面の上から吹き下ろす場所にある。
タンポポも寒かろう、辛かろう。
タンポポに比べたら、私なんて楽なものだ。
私はもっと辛抱し、もっと頑張れるはずだな・・・とも思う。
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