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2017年1月5日 木曜日 |
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昨日はポカポカ陽気だったのに、今日はうって変わって寒い。
明日はもっと寒くなるという予報だ。
嫌だなあ・・・これからどんどん寒くなるんだ。
雪も降るだろうし、ああ、冬は辛い。
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ペロ 何が辛いのさ?
Jan. 5, 2017
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ペロ 毎日ぬくぬくしてるくせに
Jan. 5, 2017
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あ~ら、ペロ君、その言葉はそっくりそのまま君たちに献上しますよ。
でも、一応君たちはお外での苦労も経験しているものね。
どうかぬくぬく暮らして下さい。
それが家猫でいる価値の3本柱のひとつだものね。
あとの2つは、飢えない事と安全に暮らせる事よね。
殆ど外を知らないのは、臍の緒付きで生まれ落ちたばかりで拾われたジャムくらいのものだ。
野良での苦労知らずだからなのかな、ジャムが一番我儘で文句が多い。
でもそれはジャムのせいじゃない。
そしてそれぞれ比べられるものじゃないんだ、何が幸せで不幸せなのか、何が苦労か不満かなんて。
私が子供だった頃も、そう思って貰っていたのかな、大人たちに。
私が我儘で気難しかったのは、私のせいじゃないんだと。
う~・・・
昨日までは何やかやと用事があり、初詣に行けていなかった。
用事が済むと午後4時過ぎになっている事が多く、それでは暗くなってしまう。
昼の、明るくて暖かいうちに出掛けたいと思い、一日延ばしになっていた。
やっと今日の昼、初詣に行く事が出来た。
眩しいほどに晴れてはいたけれど、北風が強くて寒い。
「港北七福神」の指定もある天台宗の寺で、庭に「福禄寿」の像がある。
七福神って神道じゃないのかな、お寺にあるべきものなのかな?と不思議に思って調べてみた。
するとこういう事だと解った。
神社と寺を厳密に区別したのは、明治維新の直後に明治政府が神仏分離を行なった事による。
しかしそれ以前は「神様も仏様も同じものである」と説かれてきた。
これは平安時代なかば頃から、天台宗と真言宗の有力寺院の主導で「神仏習合」が行なわれてきた為だ。
「神仏習合」とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が混淆し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象であり、「神仏混淆(しんぶつこんこう)」ともいう。
この現象は、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え「本地垂述(ほんじすいじゃく)」に基づいている。
この考えにもとづいて、天照大神が大日如来だとか、天神様(菅原道真公)は十一面観音だとかいわれた。
そのため弁財天、大黒天、毘沙門天といった人びとに好まれた仏が、神社で神として祭られることも少なくなかった。
しかし禅僧が好んだ道教の神、福禄寿と寿老人が日本の神と習合することはきわめて珍しい。
高僧として僧侶たちに慕われた布袋尊(布袋和尚)を信仰する神社もきわめて少ない。
つまり福禄寿、寿老人、布袋尊の中国系の七福神は、お寺で祭られてきた例が多いのである。
なるほどね。
ひとつ利口になったような気がするけど、来年の初詣まで覚えていられるかな。
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初詣の寺 Jan. 5, 2017
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手水舎の龍 Jan. 5, 2017
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福禄寿の像 Jan. 5, 2017
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毎年、この寺に初詣に行っているので、毎年同じような写真になるなあ。
お馴染みの手水舎の龍の口からは、初詣客の為に水が流れていた。
いつもは水が出ていないから、「松の内」だけなのだろう。
本堂でお参りし、お焚き上げして貰う為の「家内安全」の木簡(1枚100円)に名前を書いて置いて来た。
どうか今年も無事に送れますように。
願う事はそれだけだ。
三が日を過ぎた平日なのに、予想以上に初詣客が来ていて驚いた。
寺から直ぐのスーパー「santoku」に寄り、人間の朝食用のパンや野鳥の為のバナナなど買って帰る。
真冬の野鳥たちは、完熟柿やバナナなど甘いものが好きみたいだ。
糖質だけでなく、きっとタンパク質も必要なのだろうけど、そうなると何を置いてやれば良いのか解らない。
卵?
チーズ?
因みに野鳥のエサとして売られているものは、幾ら置いても全然減らない。
困ったもんだ。
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