2017年1月25日 水曜日 |
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今朝も寒かった。
今朝、久々の日本人横綱「稀勢の里」が正式に誕生した。
テレビではそのニュースでもちきり。
4横綱時代の幕開け・・・楽しみだね来場所も。
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ペリー ハッケヨイ
Jan. 25, 2017
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ペリー のこった!って言うけど
Jan. 25, 2017
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ペリー どうしていきなり過去形なの?
Jan. 25, 2017
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まあ、流石に賢いペリ君、良い質問だね。
それはね、過去形の「のこった」じゃなくて、命令形の「のこった」だと思うよ。
つまり「さあ、起きた起きた(起きなさい)!」とか「もう行った行った!(行きなさい)」なんかと同じ使い方で、「土俵際で踏ん張って残りなさい」と励ましているんだよ、多分ね。
だから「のこった、のこった」と立ち合いの途中にも掛け声を掛けてるでしょう?
それにしても、ペリ君が相撲好きとは知らなかった。
ママは「栃ノ海」の頃から好きだったけどね、お相撲。
パパなんかね、「千代の山」が好きだったんだって。
ママは知らないなあ「千代の山(北の富士の前の「九重」親方)」の現役時代は。
そういえば北の富士さん、病気らしいね。
この正月場所には解説で出て来ていなかった。
昨年末に心臓の手術をしたんだって。
正月場所中に電話で登場していた際は、元気だって言っていたので少し安心はしたけど。
北の富士の現役時代なら、鮮明に覚えている。
一人横綱の月日が続いていたし、いつも眉間に皺を寄せて沈鬱な表情をしていたのが印象的だった。
ハンサムだったけどね。
でも私はそのもう少し後の、北の湖が一番好き。
亡くなってしまったけど、今でも大好き。
私の同時代の横綱・・・という感じがするのは、やっぱり北の湖だ。
北の富士さん、早く元気になって、また生中継で辛口の解説を聞かせて欲しい。
来場所は、稀勢の里の活躍と共に、北の富士さんの復活を期待してます。
昨夜、テニスの全豪オープン、男子シングルス準々決勝でフェデラーがドイツの選手ズベレフに快勝。
次は準決勝だ。
順調だった錦織を負かしたフェデラーなんだもの、是非優勝して欲しい。
ズベレフは世界ランク50位ながら、4回戦で第1シードのマレーを破る大金星をあげた直後だった。
どんな試合になるんだろう?とドキドキして観た。
しかし、ちょっと試合時間が遅いよ。
直ぐにネットに出て来るズベレフだけど、フェデラーはその頭上を抜く余裕のロブショットを連発。
結局この試合、フェデラーは6-1, 7-5, 6-2のストレートで勝利。
これでフェデラーは2年連続、13度目のベスト4進出を果たす。
敗れた世界ランク50位のズベレフは、今大会3回戦で第9シードのナダルとフルセットの激闘を繰り広げたA・ズベレフの実兄らしい。
兄弟でプロ・テニスプレーヤーと言えば、アンディとジェイミーのマレー兄弟もいる。
リカルトとミハエラのクライチェク兄妹もいるし(兄は今は現役ではないけど)、ヴィーナスとセリーナのウィリアムズ姉妹もいる。
うちの姉妹は何か揃ってした事があったかな?
ああ、ピアノの先生の家に、仲良く姉妹でバスで通ったっけね。
当時のバスは、まだワンマン・バスじゃなくて切符を売る車掌さんがいた。
時々他に乗客が誰もいない時など、「いいよ、お金は」と言って無料にしてくれたりして、毎週同じ時間に乗る小さな姉妹を可愛がってくれた。
妹はまだ小学校の1~2年くらいで、3月末生まれの妹は同学年の中でもとりわけハツカネズミのように小さかった。
しかも妹は、100人いたら100人が「可愛い」と歓声をあげるような姉から見ても可愛い子供だった。
だから、あんまり可愛げのない不愛想で地味なお姉ちゃんまでが恩恵に与ったのかも知れない。
因みに私が赤ん坊の頃は、あやしても笑わないので「ダルマさんみたいだ」と言われていたと聞いた。
勿論、良い気分はしなかったけど、だからと言って急に愛想が良くなる訳じゃない。
あの時の車掌のオジサンは、今の私達姉妹より年下かも知れない。
それを思うとますます感慨深い。
先生が某ピアノ教室で教えてから帰宅した後の個人レッスンだったので、子供なのに夜のレッスンだったんだ。
だけど母親が付き添って行くというような事はなかった。
レッスンが終わると、もう夜の9時とか10時という遅い時間の事もあった。
先生の家の敷地を出た目の前の県道沿いに、間もなくバス停があった。
きっと帰りは終バスだったんだろうな。
当時の事だし、そこは実家のある街と比べてもずっと田舎だったので、悪い人も子供をさらうような車も全く通らない。
そもそもが車の台数自体がまだまだ少なかっただろう、流石の自家用車保有台数を誇る群馬でも。
のどかな時代だったんだ。
寒い冬の夜には、二人で抱き合うようにして先生の家からバス停まで歩いた。
何しろ先生の家はお寺だったので、道路までの参道が子供の足ではとても長く感じた。
昔の事だし、田舎の、しかもお寺で、周りは真っ暗。
二人で絡み合って歩きながら見上げると、冬空には星も輝いていたし、ヒコーキらしきものの灯りが見える事もあった。
頼れるのは姉妹だけという、束の間の時間。
楽しかったなあ、今思い出してみると。
しかし小さかった妹は中学生になるとグングン背が伸びて、県内でも強豪のバスケット部なんかに入っちゃって、お姉ちゃんよりもずっと大きく強くなってしまったのだ。
そんな妹を「アマゾネス」と呼んでいたのだ、お姉ちゃんは。
妹の同級生のお嬢さん達もみんな美人でスラリと背が高く、お祭りの日などにホコ天で5人くらいで横並びに「Gメン75」みたいに歩いているのを見ると、まさに「アマゾネス軍団」だった。
うちはサラリーマン家庭だったけど、そのお嬢さんたちはみんなお嬢様らしくて、綺麗なだけじゃなく威風堂々・・・いや、女の子に失礼か、自信に満ち溢れて輝いていたな。
その中でも妹はひときわ可憐で愛嬌があり、私の同級生も同じ歯医者に通っていれば先生までもが、みんな異口同音に「妹さんは美人ね」と言ったものだ。
そうかぁ?鼻が短くてシーズー犬みたいじゃないか?
そりゃあシーズーは可愛いけどさ・・・
けっ、妹の同級生にはお姉ちゃんが人気あったんだぞ。
だけど親の目から見ても妹は可愛いいらしい、という事は常に感じられた。
姉の目から見てもだけどね。
妹には背の高かった父の血が、姉よりもうんと余計に入ったのかも知れないな。
はい、解ってますよ、血なんか1滴も入っていない事くらい。
でも「血を分けた」と言うじゃない。
そういう事よ。
もう直ぐ、姉も妹もお婆さんになる。
そしたら一緒に暮らせるだろうか。
亡き母のような美しいお婆さんにはなれそうもないけど、せめて小ざっぱりと暮らしたいよね。
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